小説思考回廊 No.01 『混沌の新星』
2003/03/01 (Sat) 04:29:07
紅堂幹人

紅堂幹人形というものは器に過ぎす、それに収まるだけの力と質さえあれば『ソレ』になれる。しかしそれは、物理的な考えではなく精神的な考えであるから、一般的な常識には通用しない。自身が別の器に移ろうとしても器が無ければ移ることすらできないのは当然であるが、器を見つけるには実に簡単な方法がある。単に気を失ってもらえればいいだけのこと。近くに器が無ければ作ってしまえばいいという単純な考えではあるが、実に効果的だ。しかし、この方法には様々な問題も生じてくるので注意していただきたい。器の『核』を見極め、自身の上限以上の器には手を出してはならないということ。また、器となるべき候補の環境問題である。後者についての私の経験から言わせてもらえば、普通の人間を選んではいけないと断言できる。限界点がすぐそこにあっては私たちは知識を忘れてしまうからだ。
 また、何らかの事情により本来の肉体を失ってしまった時は精神体として過ごすべきで、器は限界すら決まっていない胎児を選ぶべきだ。この場合成長にしばらくの年月を要するが、精神体から再び幼児期を過ごすのに身構える必要は無い。私たちには年齢という概念は存在しないため、幼児を演じきることが可能なのだ。私は今、この雪葉という名の器を拠り所にしているが私、梓谷澪樺は女である。性別による問題は重要とはいえないので、どれだけ器と同化し、同調するかが最大の問題といえる」
 私は一呼吸を置いて、再び口を開く。
 梓谷澪樺としてではなく、雪葉雲雀としてだ。


これは、なんとなく頭で考えているシーンの一つである。こういうものを、紅堂幹人は常に考えている。
梓谷澪樺(アズサヤ レイカ),雪葉雲雀(ユキハ ヒバリ)

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