- 認めないモノ
- 2004/08/15 (Sun) 11:06:54
紅堂幹人 キャラクタは不変でなければならず、しかし、成長による変異はまた別である。固定のキャラクタが定着してしまえば、そこから抜け出す事は簡単なようで難しい。変えようと意識したとしても、自身を変異させるよりは何らかの影響を受けて変異させられる方が影響力が強いわけだ。意識的にキャラクタを変えようとすれば、別のキャラクタになるも同じであり、らしさを無くし彷徨う事になる。キャラクタ性の重要さはそこにあり、これを攻略せねばならない。自分らしくあれ、それが自分であるという事。紅堂のキャラクタは、一応はある程度の範囲内で動いている。八方美人であるわけでなく、ただひたすらに敵を増やすのも紅堂のキャラクタである。感情をむき出しにし、深層意識下の自分を曝け出したとして、それが自分のキャラクタか、というと勿論自分のキャラクタである。その際に別人と思われようと、真によるキャラクタは不変だ。何を語りたいんだか(マテ)。
今更だが、日記2ヵ月分も溜まってるなー、と気付く。気付いて纏めても誰も読まないだろうしなーと放置しかけて纏め始めてる自分に気付く。んでもって、整理し始めると去年よりもかなり書いてる量少ないなーと気付くわけで。ま、いいか(いいのかよ)。
五輪、福原愛の卓球やってるんけど、対戦相手はオーストラリアのミャオ・ミャオ……。後者応援したくなります、名前だけで(爆)。本日の読了⇒終わりのクロニクル3【上】
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