通夜
2006/12/25 (Mon) 00:59:32
紅堂幹人

紅堂幹人も。シュックェシア・エッレンフィスの紅堂幹人です。……あれ? 気にしない。赤ワイン飲んでしまったので眠るに眠れない、アルコール入ると寝付けなくなる派な自分です。既に抜けてますが、とにかく眠れなくなるので。仮通夜ということで、今日も自分だけが一人起きているということに。……25日から26日も眠れずですかね。

 22:13:33⇒通夜も終わり、泊り込みや徹夜が面倒になってアパートに帰ろうかと考えてます。だって、儀式でしかないで足止めされてだし。何かにつけて人と話さなきゃならないのはかなりのストレス。祖母には可愛がってもらったけれど、別れ方・心の中の区切り方ってのはそれぞれある。宗教屋(というと語弊があるか。仏教・浄土真宗)の坊主が30万(だったか20万。坊主の息子が10万でどのみち30万)貰って20分経読んで25分勝手な雑談して行ったがその辺りからもうどうでもいいや、と。四十九日までの約10回、30分経唱えるだけで金入るんだからボロ儲けだよね、『それらしく読み上げる』だけで、だよ。馬鹿らしい。経の息継ぎとか色々あるらしく「2人になりませんか」て。しかも話でそれが息子だとか。ザケンジャネェヨ、と。いつか遭遇したら「ありがとうございました」と言って頭突き本気で食らわせるつもりです。「スミマセンネ、感謝のキモチが一杯で」って棒読みで笑いながら。金払ってるの自分じゃないけどさ、宗教関係の奴って嫌じゃない? ま、それはおいといて。紅堂は命日・仮通夜でずっといて、『祖母を納棺した』時点で別れは済ませたと思ってます。明日の火葬も、伯母の葬儀の時を思い出してが理由で出たくはない。骨拾いの作業で骨を砕かれるのを見る、っていう辺りがどうしてもね。
 葬儀・通夜の儀式に紅堂を巻き込まないでくれ。儀式……『人との義(縁)を立てる為の式(やり方)』。形式的な物としての葬式だというのであれば尚更にもう不要なのだ。何の為に合掌する? 故人を送る為? 自分が信じてもいない神や仏に何をやったって無駄だろう。信じるべきものは常に自分と自分の運でしかない。……ただ、納棺時に触った祖母の手の冷たさがどうしても忘れられない。思い出すとやはり涙が流れてくる。人の死という物は心に刻まなければならない。たまに思い出すべきものではあるのだ。現実的に考えろ、というのであれば更に出ない事を考えてしまう。えーとアレよ。ネットできないのよ。それなら実家かアパートに帰った方がいい、っていう。……あ、方角わからないのか、北枕で老人たちが寝てる(ぉぃ)。

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