テキスト
2003/11/01 (Sat) 04:08:27
紅堂幹人

紅堂幹人葉。WORD。文章。TEXT。ガルバスラは創做メインのテクスト(テキストとも云うが)サイトだ。テキスト――教科書なんて当てにできないし、マニュアル通りに動くってのは大嫌いだ。でも、人間てのはお手夲が無けりゃ何もできない棲き物だ。お手夲が无くたって、周圍に迷惑を掛けさえしなければ滑稽であったとしても良い。いくら講義を聞いたって、礎となるデータが無ければ無意味。生理的な――生きるために最低限必要な行爲だけは仕方が無いけれど。紅堂にとって、テクストの『境畍』は自分を暴赱させる物と冷靜になれる爲の藥だ。あと、單に讀む爲の物にも分けられそうだ。テクストを媒介にし、傳心する亊が可能であれば良いと思う。自分の思う亊を伝えるのには云葉が必要だ。どんなに穉拙な云葉や文章であるとしても、それが傳わる亊は憙ばしいことに違いない。何かを傳えるという簡單な目的のために、紅堂はテクストを用いる。无論、斑SIDEの聲も傳える爲の一手段でしかない。無人の路地で叫んでも、誰も耳を傾けようとはしない。ウェブという媒体を利用すれば、夛くに語る亊など容易である。紅堂はテクストで自分の思う云葉を綴り續けよう。云葉の詞に潛む意味を捕らえるまで、思考を繰りユ瘡擦Α・br> 紅堂は日記でのアプローチの方法を毎月變えようと思う。これは意識して行う亊だが、今月は紅堂の思考と嗜好について。自分の中に存在する個個の『境畍』を確立する爲という意味でもだ。瞹昧なままにして置けば、宙ぶらりんのままで何かが終わりそうで怖いから。何人にも自己表現を否定する事は出來ない。ただ、間違えは語り合い、双方が納得するまで議論しなければならない。注意し、それを許容するかは個個の境畍であり、紅堂が足を沓み入れる亊ではない。紅堂は自分の爲に思考し、嗜好し續けよう。
 若し、若しもの話になるが、この讀み辛い文章を讀んでいる讀者が居るとしたら、個個の境畍を確立して欲しい。境畍を確立することは論理的に、何何は何何だと區別する事にも繋がるのだ。自分が何を求める爲に思考するか。現代人は思考し、思考を考察するべきだ。頭を使わなければ思考が鈍っていくばかりなのだから。

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